「他人」が羨ましくなった時に私が考えること

うつ

こんにちは、新卒入社の会社でうつ病を患い、短期離職した小野です。

皆さんは、友達や家族、会社の人など、自分以外の他人のことが羨ましくなる瞬間はありますか?

実際のところ私がうつ病になったのは、他人と比べ、できない自分を許せなかったからです。

そんな私は現在うつ病を寛解し、ゆるりゆるりを目指して毎日の生活を送っています。

今回の投稿は、隣の芝生が真っ青に見えてしまった時に、私がいつも考えていることをお話しします。

自分の嫉妬を認める

やせている人、身長が高い人、勉強が得意な人、仕事で成果を出せる人、誰からも好かれる人。

挙げてみればきりがないほど、私たちにとって羨ましい人はこの世の中にたくさんいます。

しかし、嫉妬心から生まれた自分の黒い感情は、ただただ自分を不幸にさせます。

私は身長が小さいことがコンプレックスでした。

しかし、私よりも背の高い人がヒールを履いているからといって、私に対しての嫌がらせではないのです。

その人が、今日家を出る時に履きたいと思った靴が、たまたまヒールの靴だっただけなのです。

困ったことに、本当に私に嫌な思いをさせたくて、嫌味なことをしてくる人はいるでしょう。

しかし、そんなことを考えて人を疑うことよりも、

「その人は、今日のお洋服に合うと思った靴はこのヒールのある靴だったんだ!」

と思った方が、黒い感情に飲まれることがなく、幸せな1日を過ごせると思うのです。

人に迷惑をかけない限り、自分都合でハッピーに考えていきましょう。

本当にその人が羨ましい?

どうしてもハッピーな思考ができないときは、

「本当にその人が羨ましいの?」

と自分に問いかけます。

本当にその人のことが心から羨ましくて、その人になりたいですか?

その人になるとは、その人と全く同じ人生を歩まなくてはなりません。

その人と同じくらい牛乳を飲めますか?

その人と同じような睡眠時間を確保できますか?

今の両親ではなく、その人の両親の元で暮らしたいですか?

その人が味わった不幸を、同じように味わいたいですか?

あなたがこれまでに出会った人と、出会わなくてもいい人生を歩みたいですか?

ね。

自分のこれまでの人生捨てたもんじゃないですよね。

私もこの身長が小さかったおかけで、イケメンに何度も助けられてきました。

その思い出は、決して消したくはないのです笑

私はあの子になれないし、なりたくもなかった

私が正社員を辞めたとき、自分に誓ったことがあります。

それは「変」に生きることです。

「変」と行っても、世の中にはたくさんたくさん変な人がいますが、私の思う「変」は誰かと同じではなく、私が私らしく生きることです。

普通に就職して、普通に結婚して、普通の生活を送る。

今はそんな「普通」も少ないとは言われていますが、誰かが敷いてくれたレールを何も考えずに進む方が確かに楽です。

しかし、私は色々と考えてしまいます。

そして、色々と考えることができる自分が好きなのです。

あの子のように生きていければ、こんなに悩むことはなかったのかなぁ

なんて考えたこともありますが、私は自分のこの考えることができる力を失いたくはないのです。

そして、私が羨むあの子にも、何か悲しい過去や深い考えがあるのかもしれません。

とは考えてみても、今の私はあの子になりたいとも思わないので、知りたいとも思いません笑

自分の人生いい感じじゃんと、今日も○をあげましょう。

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